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大阪高等裁判所 昭和60年(ネ)1821号 判決 1990年7月18日

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、金三三九〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和五四年七月二四日から、内金二八九〇万円に対する昭和六三年三月二日から、それぞれ支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  申立て

一  控訴人

主文と同旨

二  被控訴人

(本案前の申立て)

1 本件控訴を却下する。

2 控訴費用は控訴人の負担とする。

(本案の申立て)

1 本件控訴を棄却する。

2 控訴人の当審における拡張した請求を棄却する。

3 控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  主張

当事者双方の主張は、次のとおり訂正、付加するほかは原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  原判決の訂正

1  原判決二枚目表五行目冒頭から同六行目の「二八日」までを「控訴人は、昭和一八年九月二八日設立された株式会社で」に、同七行目の「で全部発行済であって」を「、株式は全部発行済であり」に、同九行目の「昭和五九年」を「平成元年」に、同一〇行目の「第四三期」を「第四八期」に各改める。

2  同三枚目裏三行目の「昭和五九年」を「平成元年」に、同四行目の「第四二期」を「第四七期」に、同一一行目の「昭和五九年」を「平成元年」に各改め、同一二行目の「第四二期」の次に「から第四七期まで」を加え、同四枚目表三行目の「第三三期」を「第三八期」に、同五枚目裏一〇行目の「前記二」を「前記1」に各改める。

3  同六枚目表七行目の「昭和五九年」を「平成元年」に、同八行目の「第四二期」を「第四七期」に、同七枚目表一行目の「三の(一)の(2)」を「2の(一)の(5)」に、同五行目の「いる。」を「いた。その後取締役は右畔上、山内ら一〇名、出向社員は右中西、大川ら九名、合計一九名となったが、控訴人の他の従業員もテルニックの業務を兼務しているので、テルニックの業務に専従している控訴人の従業員は少なくとも一九名である。」に各改める。

4  同七枚目表六行目の「(商法第二五四条の二)」を削り、同一〇行目の「昭和五九年」を「平成元年」に、同一一行目の「五年」を「一〇年」に、同裏九行目の「昭和五九年」を「平成元年」に、同行目の「五年」を「一〇年」に、同一二行目の「八日」を「四日」に、同八枚目表七行目の「手形の」を「手形について、経理課長桧山和夫に以後代表取締役来住勝司のために保管するよう指示することもせず、その」に各改める。

5  同九枚目表五行目の「(2)」を削り、同行目の「一日から」の次に「平成元年一〇月三一日まで」を、同六行目の「四二期」の次に「から第四七期まで」を、同一〇行目の「第四二期」の次に「から第四七期までの間の一年当たり」を各加え、同末行の「四二期」を「第四七期」に、同裏一行目の「五年間を」を「を一〇年分」に、同二行目の「二、〇〇〇万円」を「四〇〇〇万円」に、同三行目の「昭和五九年」を「平成元年」に各改め、同行目の「第」の前に「、すなわち営業期」を加え、同四行目の「第四二期」を「第四七期」に、同行目の「同期間五年」を「一〇年」に、同六行目から七行目にかけての「二、〇〇〇万円」を「四〇〇〇万円」に各改める。

6  同九枚目裏七行目と八行目の間に次の文章を加える。

「(2) 前記のとおりテルニックの業務に従事している控訴人の従業員は少なくとも一九名であるが、右一九名に対し控訴人が支払う年間の給与及び経費は一名につき七〇〇万円、合計一億三三〇〇万円を下らないものと考えられるところ、控訴人がテルニックから支払を受ける雑収入は多くても年間六七〇六万円に過ぎない。したがって、控訴人は、テルニックに対し、少くとも年間六〇〇〇万円の不当な利益を供与しており、前記一〇年間に一年当たり四〇〇万円として、合計四〇〇〇万円を下らない損害を被っている。」

7  同一〇枚目表七行目の「、(2)にのべた五年」を「一〇年」に、同八行目の「二、〇〇〇万円」を「四〇〇〇万円」に各改め、同九行目と一〇行目の間に次の文章を加える。

「(2) 控訴人は、前記のとおり昭和五四年一一月一日から平成元年一〇月三一日までの一〇年間、従業員一九名をテルニックの業務に従事させ、一年当たり四〇〇万円として、合計四〇〇〇万円の損害を被った。」

8  同一〇枚目表一〇行目の「(2)」を「(3)」に改め、同行目の「第三八期」から同末行の「そしてまた」までを「前記のとおり第三八期から第四七期までの一〇年にわたって、テルニックに対し、営業用事務所を提供し、かつ、備品や設備を使用させ、さらに」に、同一一枚目表二行目の「五年」を「一〇年」に、同行目の「一、八〇〇万円」を「三六〇〇万円」に各改める。

9  同一一枚目表一〇行目の「三〇〇」を「五〇〇」に、同一二行目の「一四〇万円」を「三四〇万円」に、同裏三行目の「五〇万円」を「二五〇万円」に、同一二枚目表三行目の「昭和五」を「昭和五三」に、同裏一〇行目の「八日」を「四日」に各改める。

10  同一三枚目表一一行目の「二、〇〇〇万円」を「四〇〇〇万円」に、同一二行目の「一、八〇〇万円」を「三六〇〇万円」に、同行目の「(三)の1」を「(三)の(1)」に、同末行の「三〇〇万円」を「五〇〇万円」に、同行目の「(三)の2」を「(三)の(2)」に、同裏一行目の「四、三〇〇万円」を「八三〇〇万円」に、同四行目の「内金五〇〇万円及びこれに対する」を「右損害額の内金三三九〇万円及びこの内金五〇〇万円に対する」に各改め、同五行目の「完済」の前に「、同じく内金二八九〇万円に対する昭和六三年二月二四日付け訴えの変更申立書の送達の日の後である同年三月二日からそれぞれ」を加える。

11  同一三枚目裏末行の「株主会社」を「株式会社」に改め、同一四枚目表一行目の「第二二号」の次に「、以下「監査特例法」という。」を加え、同七行目の「九月一四日」を「九月一二日の」に改める。

二  本案前の主張

1  被控訴人の主張

本件控訴は、控訴人の監査役坂井幸藏(以下「坂井」という。)が控訴人を代表して申し立てたものであるが、控訴人は資本金が一億円以下の株式会社であり、監査特例法(株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律)二五条により商法二七五条ノ四が適用されないから、監査役というだけで坂井は控訴人を代表する資格を有しない。控訴人は、取締役の来住勝司(以下「来住」という。)及び同坂下保男(以下「坂下」という。)が出席した昭和六〇年一二月一〇日開催の取締役会において、坂井を控訴人の代表者とする旨の決議をしたと主張するが、坂井は控訴人に対し、役員報酬請求事件等多数の訴えを提起し、これらの訴えが現在係属中であるから、商法二六〇条ノ二第二項の趣旨に照らして控訴人の代表者に指名される資格のないものであり、また、坂下は坂井の代弁者ないし傀儡であって坂井と同一人格というべきものであるから、同条項により坂井を代表者に指名する取締役会の決議に参加することができないものである。したがって、右決議は効力を有しないものであるが、仮にそうでないとしても、右のように控訴人と敵対関係にある坂井が控訴人の代表者となることは公序良俗に反し許されないから、右決議は無効である。よって、坂井が控訴人の代表者として申し立てた本件控訴は不適法として却下されるべきである。

2  控訴人の反論

控訴人は、昭和六〇年一二月一〇日午前一〇時、神戸市須磨区<住所略>所在の神戸市立国民宿舎須磨荘三一七号室において取締役会を開催し、取締役である来住と坂下が出席し、来住が議長となって審議した上、本件控訴を申し立てて訴訟を追行すること及び本件控訴審における控訴人の代表者を坂井とする旨決議した。したがって、被控訴人の本案前の申立ては理由がない。なお、被控訴人は、右取締役会における決議は商法二六〇条ノ二第二項違反又は公序良俗違反により無効であると主張するが、右決議につき利害関係を有する取締役は被控訴人だけであり、坂井は利害関係を有するものではない。坂井が控訴人に対し提起した訴訟は、被控訴人が自己以外の役員に対する報酬の支払を停止したため提起した役員報酬請求訴訟と被控訴人の不正行為を調査するための検査役選任の申立てだけであり、控訴人に敵対する行為ではなく、公序良俗に反するものでもない。

三  本案の主張

1  控訴人の主張

(一) 神戸興産(神戸興産株式会社)は、昭和五〇年一〇月二四日設立時から昭和五四年一一月二五日までは沢野一夫(以下「沢野」という。)が代表取締役であったが、そのころは控訴人の営業の部類に属する製品(以下「競業品」という。)は僅かしか販売していなかった。ところが、同年三月二日、控訴人の従業員である谷口行弘、山内勉及び池田恵輔(以下「谷口、山内及び池田」という。)が神戸興産の取締役に就任してからは、神戸興産は本格的に競業品を販売するようになり、同年一一月二五日、控訴人の従業員である畔上徳友(以下「畔上」という。)が神戸興産の代表取締役に就任してからは、控訴人の工場で控訴人の従業員が控訴人の機械設備を使用して神戸興産ないしテルニック(テルニック工業株式会社、昭和五五年一二月一日神戸興産から商号を変更した。)のために競業品を製造するようになり、その後控訴人の明石工場の機械設備の大半を、減価償却した安い価格で買い取り、直接控訴人の競業品を製造販売するようになった。

(二) 神戸興産は、その設立時から支援してくれる企業はほかになく、技術、資金、労働力を持たなかったから、信用も実績も全くなかった。しかるに、控訴人が、このような会社に対し、設立当初から競業品を売り渡し、設立後二、三年間でその販売量を増やしたこと、しかも、右取引は、神戸興産をトンネル会社として利用する以外には実益のないものであったこと、控訴人の従業員が在籍のまま神戸興産の取締役や従業員としてその業務に従事したこと、控訴人の取引先の多くが、神戸興産を被控訴人の企業と同視していたこと等の事実に照らすと、控訴人の神戸興産ないしテルニックとの取引は、被控訴人の意思に基づかなければあり得ないことである。

(三) 被控訴人は、テルニックの発行済株式総数の約七〇パーセントを自己又は親類縁者名義で保有し、残り三〇パーセントのうち沢野の保有する一〇パーセントを除く部分を控訴人の従業員が保有している。しかし、右従業員の保有する約二〇パーセントの株式の大半は、畔上、山内、桧山和夫(以下「桧山」という。)ら被控訴人の側近でテルニックの役員となっている者が保有している。被控訴人は、控訴人の従業員の待遇を改善するためテルニックの株式を保有させているというが、控訴人の従業員は、控訴人を退職する際右株式を取り上げられており、その後この株式は新入社員に与えられていない。したがって、被控訴人が、テルニックにおける議決権を完全に支配し、自己の傀儡である畔上を形式上代表者として、自己の意のままにテルニックを経営していることは明らかである。

(四) 被控訴人を除く控訴人の取締役及び監査役は、右被控訴人の経営態度には競業避止義務違反の疑いがあるとして、取締役会及び株主総会で審議するよう一致して要求しているが、被控訴人は、代表取締役である被控訴人の判断が株主総会や取締役会に優先するとして、右要求に応じようとせず、任期満了による役員改選のための株主総会すら招集しようとしない。

(五) 以上によると、被控訴人は、控訴人の代表取締役の地位を利用して自己の利益を図るため、競業避止義務違反又は自己取引、利益相反取引違反の行為をしていることは明らかであり、これにより控訴人に対し、昭和五四年一一月一日から平成元年一〇月三一日までの一〇年間に、少くとも四〇〇〇万円の損害を与えたものである。

2  被控訴人の主張

(一) 控訴人の経営について

(1) 昭和四四年六月ころ、坂井の叔父で控訴人の専務取締役であった宮崎三郎(以下「宮崎」という。)が取締役を辞任し、同時に控訴人を退職した技術、営業関係の部長級幹部社員四名及び従業員三五、六名とともに、控訴人と競業する広野化学工業株式会社(以下「広野化学」という。)を設立したため、控訴人の従業員は、広野化学と坂井との間には控訴人に損害を与える特殊な関係があると信じ、坂井化学労働組合(以下「労働組合」という。)を結成して坂井の責任を追及し、坂井と従業員との間に確執が生じた。

(2) 当時労使協調と従業員の愛社精神の高揚を目的として従業員持株制度を採用する風潮が全国的にあり、控訴人の労働組合もこの制度の採用を希望していたところ、昭和四六年一二月四日、控訴人は、労働組合との間で持株制度の採用と社内民主化に努力する旨の協約を結び、同年一二月二八日開催の株主総会において、従業員の田中顕、向江勝及び春藤穂(以下「田中、向江及び春藤」という。)を取締役に選任し、昭和四八年一二月二八日開催の株主総会においても右田中ら三名を引き続き取締役に再任した。

(3) そして、控訴人は、昭和四九年一二月二一日、労働組合との間で従業員を代表する右田中ら三名の取締役の地位を確定する旨の協約を結んだが、同月二月八日開催の株主総会において、坂井と来住が結託し、右田中ら三名の取締役の再任を否決した。そのため労働組合は右決議に反発し、坂井及び来住に対し不信の念を抱くに至った。

(4) その後労働組合は、前記昭和四六年一二月四日の協約に基づき、従業員持株制度を実現するよう団体交渉の都度強く控訴人に要求していたところ、控訴人の代表取締役であった坂井は、病気と称して昭和五〇年八月二一日代表取締役を辞任し、団体交渉から逃避した。

(5) 坂井は、来住と結託して株主総会における議決権を制し、ほしいままに控訴人を経営することを企図していたので、これを阻害するような株式数の変化を好まなかった。そのため労働組合の強い要望に抗し切れずいったんは持株制度の採用について協約を締結したが、もともとそれは真意によるものではなかったので、三年半にわたってその実施を延引した上、無責任に代表取締役を辞任したものである。

(6) 被控訴人は、坂井が代表取締役を辞任した後、昭和五五年一二月二七日開催の株主総会(第三八期)まで、総会ごとに前記労働組合との間の昭和四九年一二月二一日の協約に基づき、田中及び向江を取締役に選任することを求める議案を提出したが、坂井と来住の結託した反対によりいずれも否決された。

(7) そして、被控訴人は、昭和五四年一月四日来住が招集した取締役会において、来住と坂下の決議により代表取締役を解任された。被控訴人は、同月一一日右解任の通告を受けたので、翌一二日、従業員のうち管理職を集めてその旨伝達し、以後同年三月一日再び代表取締役に復帰するまで控訴人の業務には一切関与しなかった。

(8) 前記取締役会で被控訴人が代表取締役を解任された後は、従業員に対する指揮命令、受取手形の管理等控訴人の経営業務は、代表取締役である来住がその責任において遂行すべきものであり、この点については被控訴人にはなんら責任はない。被控訴人が代表取締役に復帰するまでの間に来住と従業員との間に生じた紛争は、控訴人が従来労働組合との間に締結した協定、協約等を、来住と結託して履行しようとしなかった坂井に対する従業員の怒りが爆発した結果であり、被控訴人の関知しないことである。

(9) 被控訴人は、控訴人の取締役会を開催せず、株主総会の議事録を作成していないが、これは、坂井と来住が結託して株主権を濫用し、会社経営を混乱させることに対する防衛、救済の措置であり違法ではない。

(二) 神戸興産・テルニックについて

(1) 神戸興産は、昭和五〇年一〇月二四日、当時控訴人の製品を販売していた沢野商店の経営者である沢野の父沢野久と沢野が中心となって、資本金五〇〇万円(一株の額面五〇〇円)で設立した会社である。控訴人は、右会社設立前の同年八月ころ、沢野から履物用接着剤の販売会社であるノーテープ商事の求める接着剤を下請で製造するよう依頼され、これを承諾し、神戸興産の設立後、右接着剤を製造して神戸興産に販売するようになった。

(2) 神戸興産は、昭和五四年四月一日、資本金を一〇〇〇万円に増資し、控訴人の従業員である山内、谷口及び池田をその取締役に選任した。被控訴人は、山内らが神戸興産の取締役に就任することは、かねて控訴人が労働組合と締結した労働協約や前記協定の趣旨に添うものであると考えて承諾したところ、さらに、昭和五五年一一月一五日、沢野親子が神戸興産の役員を辞任した際、沢野から、畔上を後任の代表取締役に就任させたいとの申し出を受けたので、これを承諾した。

(3) 沢野は、神戸興産の代表取締役を辞任したころ、その保有する神戸興産の株式のうち若干を残して、その余は山内及び谷口を通じ、控訴人の従業員が作った持株制度準備委員会に売り渡した。被控訴人は、そのころ同委員会から右株式のうち六〇〇〇株を買い受けたが、昭和五七年一月三一日の増資の際の割当てにより、被控訴人が一万一二五〇株、三人の子供が各二〇〇〇株、妻が八〇〇株、合計一万八〇五〇株を保有するに至った。

(4) ノーテープ商事と控訴人は一部市場において競業関係にあったから、控訴人は、自己のブランド商品を直接ノーテープ商事に売り渡すことはできなかった。そのため、控訴人が神戸興産の下請で製品を製造し、これをノーラベルで神戸興産に売り渡し、神戸興産がこれをノーテープ商事に売り渡す旨の契約が神戸興産とノーテープ商事との間で締結され、そのように取引が行われた。したがって、袖戸興産はいわゆるトンネル会社ではない。

(5) ところが、昭和五七年五、六月ころからテルニックが自らノーテープ商事に納品する接着剤を製造するようになったため、控訴人は、ノーテープ商事向けの製品の製造機械及び担当の従業員九名が不要となった。そこで、控訴人は、右余剰機械をテルニックに売り渡し、右九名の従業員をテルニックに出向させ、その見返りとして、テルニックから出向者分担金、技術指導料及び事務処理料(以下「出向者分担金等」という。)の支払を受けることにした。右機械の販売価格は帳簿価格以上であり、決して安い価格ではない。

(6) テルニックが製造している接着剤は、控訴人の製造している接着剤とは品質用途を異にするものであり、テルニックは控訴人と競業関係にない。

第三  証拠<省略>

理由

第一  本案前の抗弁について

一  控訴人代表者適格

次のとおり訂正、付加するほかは原判決一五枚目表五行目の冒頭から同一六枚目裏四行目末尾までと同一であるから、これを引用する。

1  原判決一五枚目表九行目の「提起」の次に「及び本件控訴の申立て」を加え、同一二行目の「株式」から同裏一行目の「二五条、」までを削り、同三行目の「本件訴訟」を「本件訴え及び本件控訴」に改める。

2  同一五枚目裏九行目の「二五号証、」の次に「第三〇号証の二、第六〇号証の五、」を加え、同行目の「弁論の全趣旨」を「原審証人来住勝司の証言」に、同一〇行目の「甲第三〇号証の一、二、甲第三一号証」を「甲第三〇号証の一、第三一号証、原審証人来住勝司の証言及び弁論の全趣旨」に、同一二行目の「取締役会社」を「取締役会」に各改める。

3  同一六枚目表一一行目末尾に「そして、前掲甲第二五号証、第六〇号証の五、乙第一号証、成立に争いのない甲第五三号証の一、二、第五四号証、第五五号証の一、二及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五六号証によれば、右(一)、(二)の事実のほかに、来住と坂下は、昭和六〇年一〇月一七日付け取締役会招集請求書により、被控訴人に対し、監査特例法二四条に基づき控訴人を代表して本件控訴を申し立て訴訟を追行する者を選任することを議案とする取締役会の招集を請求し、右請求書の到達後五日以内に二週間内の日を会日とする取締役会の招集通知が発せられないときは、来住又は坂下の名で取締役会を招集することがある旨予告したこと、被控訴人は、同月一八日右請求書を受取ったが、右請求にかかる取締役会の招集手続を執らなかったこと、そこで来住は、同年一二月五日付け取締役会招集通知書により、日時、場所及び右請求書記載と同旨の議案を示して取締役会を招集したところ、右招集通知書は同月六日被控訴人に送達されたこと、右招集にかかる取締役会は、同月一〇日午前一〇時、前記須磨荘三一七号室で開催され、来住、坂下が出席し、来住が議長となって右議案を審議した上、控訴人の代表者として本件控訴を申し立て訴訟を追行する者を坂井と定める旨全員異議なく承認したことが認められる。」を加える。

4  同一六枚目表一二行目の冒頭から同裏四行目末尾までを「右認定の各事実によると、昭和五七年七月一三日開催の取締役会における本件訴訟(神戸地方裁判所昭和五四年(ワ)第七五五号事件)の追行と控訴人の代表者を坂井とすることの承認決議及び昭和六〇年一二月一〇日開催の取締役会における控訴人を代表して本件控訴(当裁判所昭和六〇年(ネ)第一八二一号事件)を申し立て訴訟を追行する者を坂井と定める旨の承認決議は、いずれも瑕疵なく適法にされたものと認められるから、坂井が控訴人を代表して提起した本件訴え及び本件控訴はいずれも当初から有効なものとなったというべきである。」に改める。

5  同一六枚目裏四行目と五行目の間に次の文章を加える。

「 被控訴人は、坂井は控訴人に対し役員報酬請求事件等多数の訴えを提起し、これらの訴えが現在係属中であるから、商法二六〇条ノ二第二項の趣旨に照らして控訴人の代表者に指名される資格のないものであり、板下は坂井の代弁者ないし傀儡であり坂井と同一人格というべきものであるから、同条項により坂井を代表者に指名する取締役会の決議に参加することができないものであるとして、昭和六〇年一二月一〇日開催の取締役会における前記決議は効力を有しないと主張する。

<証拠>によれば、控訴人の代表者である被控訴人が、坂井、来住及び坂下に対する役員報酬を昭和五一年ころから昭和五四年一月三一日までは一部しか支払わず、同年二月一日以降は全く支払をしなかったため、坂井らは、控訴人を被告とする役員報酬請求訴訟を四回提起し、いずれも全額認容されたこと(昭和五七年八月一日から昭和五九年八月三一日までの報酬請求訴訟は神戸地方裁判所昭和五八年(ワ)第一八八号)、坂井と来住は、控訴人の株主として、代表取締役である被控訴人の業務の執行に関し不正の行為又は法令若しくは定款に違反する重大な事実があると疑うべき事由があるとして、控訴人を被申請人としてその業務及び財産状況を調査せしめるための検査役の選任を神戸地方裁判所に申請したところ(同裁判所昭和五八年(ヒ)第六号)、同裁判所は、同年六月一〇日弁護士小越芳保を検査役に選任したこと、並びに坂下は、控訴人の株主である坂井の利益代表として取締役に就任しているものであること、以上の各事実が認められる。しかしながら、坂井が右各役員報酬請求訴訟を提起し、又は検査役選任の申請をしたからといって、監査特例法二四条一項に基づいて控訴人の代表者になることができなくなるものとは考えられず、商法二六〇条ノ二第二項の趣旨からも被控訴人主張のような結論を導き出すことはできない。また、坂下が株主である坂井の利益を代表する取締役であるからといって、同条項により、坂井を本件訴訟における控訴人の代表者に指名する取締役会の決議に参加することができないものとはいえないから、被控訴人の右主張は失当である。

さらに、被控訴人は、控訴人を相手に前記訴えを提起した坂井は控訴人と敵対関係にあるものであるから、控訴人の代表者となることは公序良俗に反して許されず、したがって、坂井を控訴人の代表者に指名した前記決議は無効であると主張するが、坂井が前記役員報酬請求訴訟等を提起したからといって、本件訴訟につき控訴人の代表者となることが公序良俗に反するものとは到底考えられないから、右主張は失当である。」

二  訴えの変更

この点についての当裁判所の判断は、原判決一六枚目裏六行目の冒頭から同一七枚目裏九行目末尾までと同一であるから、これを引用する(ただし、原判決一六枚目裏七行目の「一七日」を「一八日」に改める。)。

第二  本案について

一  請求原因1の事実(控訴人の概況及び株主と役員の構成)は当事者間に争いがない。

二  被控訴人の商法上の義務違反

1  控訴人の経営状況と紛争の経緯

右当事者間に争いのない事実、<証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

(一) 控訴人の前身は、坂井の先代坂井幸二郎(以下「幸二郎」という。)の創業にかかるゴム靴塗料の製造販売業であるが、昭和四年に合資会社となり、昭和一八年九月二八日これを株式会社に改組して控訴人を設立した。控訴人の株主は当初幸二郎と来住の先代来住虎之介(以下「虎之介」という。)であったが、昭和二四年に増資をし、被控訴人の先代槌橋秀彦(以下「秀彦」という。)が資本参加し、控訴人の株主構成は、幸二郎が約四八パーセント、秀彦が約四七パーセント、虎之介が五パーセントとなった。その後右三名の死亡による相続によって、幸二郎の株式は坂井が、秀彦の株式は被控訴人が、虎之介の株式は来住がそれぞれ保有又は支配して株主権を行使するようになった。

(二) 控訴人においては、秀彦の資本参加後、秀彦が代表取締役会長、幸二郎が代表取締役社長であったが、秀彦は弘栄貿易株式会社を経営していたため、控訴人の経営は幸二郎が担当し、右両名の関係は良好であった。そのうち坂井と被控訴人が控訴人に入社して取締役となり、昭和三八年ころには、幸二郎の妻の弟の宮崎が取締役営業部長、坂井が取締役製造部長、被控訴人が取締役総務部長であった。

(三) 昭和三八年一二月二一日秀彦が死亡し、幸二郎も代表権のない会長に退き、昭和三九年七月からは、坂井が代表取締役社長、被控訴人が代表取締役副社長、宮崎が専務取締役となった。ところが、被控訴人が秀彦の死後取締役のバランスが崩れたと不満を述べたため、右不満を解消するために社長、副社長の呼称をやめ、坂井と被控訴人を単に代表取締役と言うようにし、昭和四三年九月七日開催の株主総会において、坂井側の取締役に幸二郎、坂井、宮崎の三名を、槌橋側の取締役に被控訴人の兄槌橋淳秀(以下「淳秀」という。)、被控訴人、藤井信男の三名を、来住側の取締役に来住をそれぞれ選任した。

(四) 幸二郎は昭和四四年四月一日死亡したが、右死亡の直前ころ、被控訴人は、控訴人の設立後間もないころから幸二郎の子飼いとして長年控訴人に勤務し、部長職についていた青山、一角、今野、岡本の四名を、坂井の意見も聞かずに一方的に次長に降格し、宮崎に対しても曖昧な態度をとるようになった。そのため、宮崎及び青山ら四名は、被控訴人の右措置を不満として相次いで控訴人を退職し、控訴人と競業する広野化学を設立したところ、控訴人の従業員約三〇名も控訴人を退職して広野化学に移った。被控訴人は、宮崎らによる広野化学の設立に坂井も関与しているといって非難した。

(五) 被控訴人は、坂井、槌橋、来住三者の前記株主構成の比率を崩し、自分が控訴人の経営を支配するためには、増資により従業員持株制を導入するしかないと考え、昭和四五年六月ころ、坂井、来住らの知らぬ間に取締役会議事録及び株主総会議事録を偽造し、これにより控訴人の発行する株式総数三六万株を一四四万株に変更する旨の登記をし、控訴人の従業員らに対し、右増資による新株の引受けを募集し、その申込み手続をとらせた。

(六) 坂井、来住は、右募集の回覧によって被控訴人の右所為を知り、被控訴人を私文書偽造同行使、公正証書原本不実記載罪で神戸地方検察庁に告訴するとともに、同年八月一七日取締役会を開いて、被控訴人を代表取締役から解任し、その後任に来住を選任した。ところが、右事情を知らない従業員の間に、坂井が広野化学の設立に関与し、被控訴人をいわれなく解任し、控訴人を危機におとしいれたとの情報が流布され、被控訴人を守ること等を目的として労働組合が結成され、その後労働組合から坂井に対し、来住の退陣と被控訴人の代表取締役復帰を要求する団体交渉が激しく行われた。

(七) 昭和四六年になると、労働組合から、社内の民主化、従業員の持株制度の採用等会社経営にかかわる要求が高まり、ストライキもしばしば行われて事態が深刻となったため、同年八月三日、事態を収拾するため来住が代表取締役を辞任し、代わって被控訴人の兄淳秀が代表取締役に就任した。そして、代表取締役の坂井は、同年一二月四日、労働組合との間に、従業員持株制度につき前向きに努力する等の条項の協約を締結し、同月二八日開催の株主総会において、坂井側の坂井、坂下、槌橋側の淳秀、藤井信男、来住側の来住に加えて、従業員である向江、田中、春藤の三名を取締役に選任し、従業員との融和を図った。

(八) 被控訴人は、前記告訴事件の捜査中である昭和四六年二月一八日、控訴人の取締役を辞任し、反省の情ありとして起訴猶予処分を受けたが、再度過ちは犯さないであろうとの来住の意見で、昭和四七年六月二九日代表取締役に選任され元の地位に復帰した。ところが、控訴人を実質的に支配したいという被控訴人の意思は一向に変わらず、昭和四八年一二月二八日開催の株主総会の直後に開かれた取締役会で坂井の代表取締役就任に反対し、これに槌橋側の取締役藤井信男のほか従業員代表の取締役向江及び田中が同調したため、坂井は非常勤の取締役として控訴人の経営から離れることを余儀なくされた。

(九) 坂井は、先に向江、田中、春藤の三名を取締役に選任する際、右三名は坂井側槌橋側のいずれにもつかず、控訴人の利益のみを考えて行動するとの淳秀の言葉を信じて右選任に同意したものであるが、向江、田中の前記行動に対し強い不満と不信感を抱いた。ところが、昭和四九年三月一二日前記藤井信男が死亡したため、再び坂井の代表取締役就任に賛成する取締役が多数となり、同年一〇月二八日の取締役会で坂井は代表取締役に復帰した。

(一〇) ところが、坂井の代表取締役復帰とともに労働組合の活動が活発となり、昭和四九年一二月二一日、労働組合の要求により代表取締役の坂井は、従業員を代表する取締役の地位を確定する等の条項の協定を労働組合との間に締結することを余儀なくされた。そして、昭和五〇年になると、従業員持株制度の導入に積極的な被控訴人の意向を受けて、労働組合は連日のように坂井を対象とする団体交渉を行い、坂井を取り囲んで日中から深夜に及ぶ長時間の交渉が連日のように行われた。そのため坂井は、疲労困ぱいの極に達し、高血圧症に肝炎を併発して入院し、医師の助言により同年八月二一日代表取締役を辞任した。

(一一) 坂井の代表取締役辞任により、被控訴人は一人代表取締役になったが、昭和五〇年一二月に開催すべき定時株主総会を招集せず放置していた。そのため坂井は、来住と協議の上昭和五一年九月株主総会を招集し、同月三〇日これを開催して取締役に被控訴人、来住、坂下の三名を選任した。そして、右株主総会の直後に開かれた取締役会で被控訴人が代表取締役に選任されたが、被控訴人は、自己の意思に反して取締役となった来住、坂下の両名を取締役にふさわしくない者として無視し、それ以来取締役会を全く開かなかった。このような状況に坂井、来住は危機感をもち、昭和五二年一二月五日、来住、坂下の出席した取締役会で来住を代表取締役に選任したが、被控訴人はもちろん、控訴人の従業員も来住を代表取締役として扱わず、控訴人の経営に関する資料を全く見せなかったため、来住は代表取締役としての職務を遂行することができなかった。

(一二) 被控訴人は、自己の意思に逆らわない従業員の向江、田中の両名を取締役にしたい希望を引き続き持っていたが、昭和四八年一二月二八日の取締役会における右両名の行動に不信感をもった坂井、来住が反対したため、前記昭和五一年九月三〇日開催の株主総会で向江、田中は取締役の候補にもされず、被控訴人の右希望はかなえられなかった。そのような状況の下で、被控訴人は、取締役会の審議を経ることなく、昭和五三年一二月二七日に第三六期(昭和五二年一一月一日から昭和五三年一〇月三一日まで)の利益処分案の承認及び任期満了による役員改選のための株主総会を開催することとし、「坂井及びその系列の者の役員就任は遠慮していただく」旨及び田中、向江の両名を取締役選任候補者とする旨記載した株主総会招集通知書を株主に送付し、株主総会の当日、坂井側株主の委任状を持参した坂下の代理権を無視し、坂井が欠席したから議案はすべて原案どおり承認されたと宣言して閉会を宣した。

(一三) 被控訴人の右のような強引な行為にいよいよ危機感を強めた坂井、来住は、被控訴人に掣肘を加えるためには、被控訴人を代表取締役から解任せざるを得ないと考え、昭和五四年一月四日来住、坂下の出席した取締役会において被控訴人を代表取締役から解任し、同月八日その旨の登記をし、被控訴人にその旨通知した。右通知を受けた被控訴人は、同月一二日ころ、従業員中の管理職を集め、代表取締役を解任されたので今後出社しない旨告げて退社し、一人代表取締役となった来住に対し、代表取締役の印章の交付その他の事務の引継ぎ等を一切しなかった。

(一四) 一方被控訴人から右解任の事実を告げられた管理職の従業員は、同年一月二〇日ころ、被控訴人の代表取締役復帰と来住の退陣を目的とする管理職組合を結成し、来住の代表取締役としての職務を妨害するため、控訴人の受取手形、手形小切手用紙、代表取締役の印章等を来住に渡さないことを決議し、経理課長の桧山に右受取手形等を会社の外へ持ち出させた。通常の場合桧山は、上司の指示を受けるまでもなく、給料日の数日前には受取手形を銀行に持参して資金繰りをするのに、それをしなかったばかりかその所在をも晦ましたため、来住は昭和五四年一月二五日の給料日に支払うべき同月分の給料を支払うことができず、労働組合から激しくその責任を追及された。

(一五) そのような状況から、坂井、来住は、被控訴人を再度代表取締役にせざるを得ないと考え、同月三一日開催の株主総会で被控訴人、来住、坂下の三名を取締役に選任し、その直後の取締役会で被控訴人を代表取締役に選任したが、被控訴人は代表取締役への就任を拒否し、来住の責任で会社を運営せよと言い放った。そして、管理職組合員及び労働組合員が右取締役会の直後から来住と坂下を取り囲み、給料の不払いの責任等を繰り返し追及し、坂下は警察官の導入で同日午後解放されたが、来住は深夜に至るまで帰宅することができなかった。その後も右のような事態は改善されず、従業員のストライキ状態の続く中で、控訴人振出の手形の決済日である昭和五四年二月五日が追ってきた。

(一六) そこで来住は、控訴人の取引銀行である太陽神戸銀行板宿支店に対し、五億円の個人保証をして融資を求めたが、受取手形を入れなければ融資はできないと拒否され、桧山の行方も捜したが見付からないので、やむなく業者を呼んで金庫を開けてみたが中に受取手形はなかった。さらに来住は、坂田和夫弁護士(控訴人訴訟代理人)の立会いの下に事務所内の桧山の机の引き出しを開けようとしたところ、取り囲んでいた管理職の者たちが来住を泥棒呼ばわりした。そのような状況で万策尽きた来住は、神戸地方検察庁に対し、被控訴人を受取手形の業務上横領罪で告訴するとともに、被控訴人を相手に、受取手形引渡しの仮処分を神戸地方裁判所に申請した。

(一七) 来住は、昭和五四年二月五日朝、倒産の回避につき協力を求めるため、被控訴人に電話をかけて面会を求めたが、被控訴人は、場合によっては倒産もやむを得ないと考え、「条件は従業員に言ってある。今会う必要はない。」などと言って取り合おうとせず、従業員も依然として非協力的態度を崩さなかった。ところが、同日午後一時過ぎに、来住が坂田弁護士とともに控訴人会社に赴いたところ、労働組合を介して被控訴人と電話連絡がとれたので、再度倒産回避に協力するよう求めたところ、被控訴人は、前記告訴と被控訴人を相手とする民事訴訟全部の取下書を山内に渡すよう要求した。右要求は来住にとって耐え難いものであったが、控訴人の倒産を回避するためにはやむを得ないことであると考え、同日午後二時二〇分ころ、右各取下書を作成して、被控訴人の代理人である荒木重信弁護士の事務所に届けた。

(一八) 被控訴人は、右各取下書の受理を確認した後、控訴人会社に出社し、管理職組合員や労働組合の幹部とともに来住をとり囲み、「二度と代表取締役に就任しない旨の誓約書を書き、その誓約を担保するために来住側が保有する株券全部と実印を労働組合に預けよ。」などと長時間にわたって迫った。これに困惑した来住は、家へ帰って株券を取ってくると偽って会社を出た上、坂田弁護士に事情を報告したところ、坂田弁護士から善処分を求められた荒木弁護士の説得で、被控訴人はようやく右追及をやめた。そのような騒動が続く中で、同日の夕方、桧山が控訴人の受取手形を太陽神戸銀行板宿支店に持参して裏書をし、控訴人振出の手形の決済をした。

(一九) 右手形の決済により控訴人の倒産は一応回避されたが、被控訴人はその後も控訴人の代表取締役に復帰することを拒否し、従業員も来住に対する非協力の態度を改めようとしなかったため、来住は代表取締役の職務を遂行することができなかった。そして、それまでの心労が重なって急性胃炎となり入院治療を余儀なくされたので、来住は、同年二月中旬、神戸地方裁判所に対し、商法二六一条三項、二五八条二項に基づき、控訴人の仮代表取締役の職務を行うべき者の選任の申立てをした。そして、右事件の審理中、坂井、来住が被控訴人に譲歩する形の示談が成立し、昭和五四年三月一日、前記荒木弁護士の事務所で取締役会が開かれ、被控訴人が代表取締役就任を承諾し、同月二日その旨の登記がなされた。

(二〇) 被控訴人は、いわゆるワンマン経営者で、自己の意図する会社経営のためには商法等の法規も遵守する必要がないと考えており、自己の意に添わない従業員に対しては降格等苛酷な処分もするため(春藤は、昭和四八年一二月二八日の取締役会で被控訴人に同調しなかったため、その地位を剥奪され、その後間もなく控訴人を退職した。)、従業員は被控訴人を恐れて、その意向に反する言動は一切しない。そして、被控訴人は、前記のとおり自分以外の役員の報酬の支払をせず、昭和五四年三月一日代表取締役に復帰してからは、来住、坂下は押しつけられた取締役であるとして無視し、取締役会は全く招集せず、監査役である坂井にもその職務を執行させず、控訴人の帳簿類も一切閲覧させていない。株主総会の招集通知だけは発しているが、それは取締役会の審議を経たものではなく、そのために、役員の任期満了による改選のための株主総会も開催されないまま現在に至っている。

(二一) 被控訴人は、昭和五四年三月一日代表取締役に復帰した後は、労働組合を嫌悪するようになり、労働協約も破棄し、組合員と非組合員とを差別するようになったため、労働組合の組合員は次第に減少し、現在では、十数名になってしまった。そして、管理職組合は、被控訴人の右復帰後間もなく解散した。そのため、現在控訴人会社においては、被控訴人を批判する者は皆無である。

以上の各事実が認められ、甲第五〇号証中の被控訴人の供述記載並びに原審(第一回)及び当審における被控訴人本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  神戸興産・テルニック

<証拠>によれば、次の各事実が認められる。

(一) 神戸興産は、昭和五〇年一〇月二四日設立された株式会社で、有機無機高分子化学薬品の製造販売及びこれに付帯する業務一切を目的とする株式会社であるが、昭和五五年一二月一日、商号をテルニック工業株式会社と変更した。設立当時の資本金は五〇〇万円(額面株式一株の金額五〇〇円、発行済株式の総数一万株)であったが、昭和五四年四月一日、資本金を一〇〇〇万円(発行済株式の総数二万株)に、次いで昭和五七年一月三一日三〇〇〇万円(発行済株式の総数六万株)に順次増資し、現在に至っている。

(二) 神戸興産の設立時の取締役は沢野のほか沢野の親族が就任し、代表取締役には沢野がなったが、被控訴人が控訴人の代表取締役に復帰した日の翌日である昭和五四年三月二日、控訴人の従業員である谷口、山内、池田の三名が新たに取締役に加わった。ところが、沢野を含む沢野側の取締役は昭和五五年一一月一五日までに全員退任し、代わって控訴人の従業員である谷口、山内、畔上ら四名が取締役に就任し、畔上が代表取締役になった。その後取締役の入替えはあったが、いずれも控訴人の管理職が就任し、昭和六一年一一月二二日現在の取締役は畔上、山内、向江ら一〇名、代表取締役は畔上である。

(三) 前記設立時の神戸興産の本店は、沢野父子の経営する沢野商店のある神戸市長田区二葉町一〇丁目二番一九号に置かれていたが、商号をテルニックに変更した昭和五五年一二月一日、控訴人の従業員である谷口の自宅のある神戸市長田区御船通五丁目三番地に移し、次いで、昭和六〇年に、柏原工場のある兵庫県氷上郡柏原町大新屋一-一に移した。しかし、右設立当初から神戸興産の業務は控訴人の従業員が控訴人の事務所で処理してきたもので、テルニックになってからは、神戸市長田区五番町七丁目八番地所在の被控訴人の個人企業である日本油脂工業株式会社(以下「日本油脂」という。)内に事務所を借り、そこで事務の一部を処理している(昭和六一年当時には、控訴人を定年退職した向江一人が右事務所に勤務していた。)。

(四) 沢野商店は以前から控訴人から接着剤を仕入れて販売していたものであるが、沢野は、昭和五〇年八月ころ、履物用接着剤の販売業を営むノーテープ商事から、「ノーテープ工業の総代理店として同会社の接着剤を販売してきたが、同会社との間に紛争が生じ、同会社から接着剤の仕入れができず困っている。控訴人から仕入れたいので仲介してほしい。」旨の依頼を受けた。そこで沢野は、山内を通じて被控訴人にその話を持ち込んだところ、被控訴人は、「ノーテープ商事は従来控訴人と競業関係にあったので、直接同会社に控訴人の製品を売ることはできないが、沢野の会社の下請として接着剤を製造し、これをノーブランドのまま売るというのであれば引き受ける。」旨回答した。

(五) そこで沢野は、前記のとおり神戸興産を設立し、控訴人は神戸興産の下請としてノーテープ商事の求める接着剤を製造し、ノーテープ商事は、右接着剤を東洋ゴムの子会社である日本ソフラン化工のブランドである「東洋シューズボンド」を使って販売するようになった。ただ、神戸興産には当時従業員がいなかったので、神戸興産の控訴人からの仕入れ及びノーテープ商事への販売業務は、すべて控訴人の従業員である山内及び谷口が控訴人の事務所内で伝票及び帳簿等の記載をすることによって処理し、製品は控訴人から日本ソフラン化工に直接送付していた。

(六) そのような状態で取引量が次第に増えていったが、昭和五七年初めころ、テルニックは、兵庫県氷上郡柏原町の新井工業団地内の土地八六七二・四平方メートルを取得し、同土地上に柏原工場を建築し、右工場の完成とともに、控訴人が先に神戸興産の下請用として明石工場内に設置した高能率主力反応缶三〇〇〇リットル二基、同四〇〇〇リットル一基等接着剤の製造に要する機械設備を割安の価格で譲り受け、これを柏原工場に設置し、同年五月ころから、控訴人からの出向者八名(技術者及び工員)により、控訴人の製造技術を利用して接着剤の製造を開始した。なお、右出向者はテルニックの製造業務に専従する者であるが、その他に、控訴人の管理職中相当数の者が控訴人の業務と並行してテルニックの業務を処理していた。

(七) 右製造の開始とともにテルニックの業績は順調に伸びていった(当審証人畔上徳友の証言によるテルニックの昭和五八年一〇月一日から昭和六一年九月三〇日までの三年間の経理の状況は別表(一)記載のとおりである。)。これに反し、控訴人は、右機械設備の譲渡により明石工場の反応缶による製造能力の二〇ないし三〇パーセントを失い、第四一期(昭和五七年一一月一日ないし昭和五八年一〇月三一日)以降テルニックに対する売上額を激減させるとともに、必要な接着剤をテルニックから購入せざるを得なくなり、テルニックからの買入額が大幅に増加した(控訴人の第三八期ないし第四六期(昭和五四年一一月一日から昭和六三年一〇月三一日まで)の間のテルニックとの取引の内容は別表(二)記載のとおりである。)。

(八) 前記のとおり、控訴人の管理職のうちテルニックの役員となっている者及びその余の一部の者は、控訴人の勤務時間内に、控訴人の業務と並行してテルニックの業務を処理しており(控訴人の経理主管の桧山の場合、週二日テルニックの業務を処理している。)、テルニックに出向している従業員(昭和五七年一一月一日現在八名、昭和五八年一一月一日現在一一名、昭和六一年一一月一日以降九名)はテルニックの業務に専従しているが、右出向者についてもその給与は全額控訴人が支払い、その見返りとしてテルニックから控訴人に対し、一定額の出向者分担金等が支払われている。昭和五六年一〇月一日から昭和六一年九月三〇日までの五年間の右出向者の給与及び出向者分担金等の金額は別表(三)記載のとおりであり、右五年間に控訴人が支払を受けた出向者分担金等よりも控訴人が右出向者に支払った給与のほうが三三六〇万四〇三七円多い。

(九) 控訴人は、有機の接着剤の商標として「エスタック」及び「エスプライ」を、無機の製鋼用助剤の商標として「エスパイル」を長年使用してきた。一方テルニックは、昭和五七年五月柏原工場で製造を開始するに先立ち、有機無機製品に共通する商標として「テルマックス」を定めた。ところが控訴人は、昭和五六年八月、右エスパイルについての登録申請が類似する商標の存在を理由に拒絶されたとして、その使用につき格別異議が出たわけでもないのに、長時間の使用により取引先に信用のあったエスパイルの使用を取り止め、テルニックが制定したばかりの商標であるテルマックスを昭和五七年四月から製鋼用助剤一キログラムにつき五〇銭の使用料で借用し現在に至っている。右使用料は年間三〇〇万円を下らない。

(一〇) テルニックは、当初ノーテープ商事に納入する履物用接着剤を製造していたが、次第に控訴人の製品と競合する接着剤一般を製造するようになった。しかも、被控訴人の明示又は黙示の指示によって、控訴人の営業担当者が得意先においてテルニックとの取引を申し出ることもあって、控訴人の接着剤関係の得意先の一部がテルニックに移っている。そのために、テルニックは従業員も少なく(昭和六三年度の従業員数は控訴人が一三五人、テルニックが二二人である。)、伝統もない新興企業であるのに、最近では控訴人に迫るほどの業績を上げている(雑誌ダイヤモンドと日経ビジネスに掲載された控訴人とテルニックの昭和六〇年度から昭和六三年度までの所得金額及び全国会社順位は別表(四)記載のとおりである。)。

(一一) 神戸興産の設立当初、その株式の大部分は沢野とその父が保有していた。昭和五四年四月一日の増資に際し、被控訴人又は控訴人の従業員(管理職)がその株式の相当部分を取得したものと考えられるが、そのことを示す具体的な資料はない。ところが、昭和五五年に入り、神戸興産のノーテープ商事に対する売上高が増えて年商二億円にも達したことから、沢野は、右取引によるリスクを自分が負担することをおそれて、被控訴人に対し、沢野一族の保有する株式の大部分を譲渡し、神戸興産の経営から退きたいと申し出た。被控訴人は右申し出を受け入れ、沢野一族の保有する株式の大部分を譲り受け、その一部を控訴人の従業員に分譲することにした。そして、被控訴人は、昭和五六年六月ころ、控訴人の管理職や労働組合委員長の松岡正巳らに対し、「テルニックの株式の九〇パーセントを引き上げてきた。坂井の反対で実現しなかった従業員持株制度の代わりに、テルニックの株式を従業員に譲渡する。労働組合側でも引き受けてほしい。」などと言って引受けを要請した。

(一二) その後控訴人においては、畔上、山内ら管理職が持株制準備委員会と称して、従業員にテルニックの株式の引受けを勧めるため、昭和五六年八月ころ、テルニックについての説明会を開き、次いで同年九月ころ、テルニックの名義で、被控訴人の所有する株式を分譲するから応募するようにとの書面を配布し、右募集に応じた控訴人の従業員(従業員のほとんど全員)に対し、その職階に応じて一定数の株式を割り当てて譲渡した(当時係長であった松岡正巳の譲受け数は六〇株であった。)。その後昭和五七年一月三一日の二万株から六万株への増資によって各自の持株数も増えた(右増資後の各株主の正確な持株数は不明であるが、証拠上現われたところによると、被控訴人及びその家族が一万八〇五〇株、沢野及びその家族が六〇〇〇株、畔上及び山内が各二〇〇〇株、桧山が一五〇〇株、田中が一二〇〇株、日本油脂の従業員である戸田新蔵が一〇〇〇株、谷口が三〇〇株、右松岡が一八〇株等である。)。しかし、控訴人を退職する者は全員、畔上、桧山ら管理職から株券の引渡しを要求され、株券と引換えに額面相当額の支払を受けている。右退職者から引き上げられた株式が控訴人の新入社員に分譲されたことはなく、これが最終的に誰のものになるかは不明である。

(一三) 神戸興産時代及びテルニック時代を通じて、昭和六〇年ころまでは株主名簿もなく、株主総会は一度も開かれたことがなく、株主は畔上から封筒に入った配当金を渡されるだけで、決算書類を配布されたこともなかった。そして、取締役会も正式に開かれたことはなく、配当金額や役員の報酬額等も畔上ら一部取締役の言うままに決まっている。畔上が昭和五五年一一月一五日代表取締役に就任したときは、山内から就任を勧められたというだけで、どのような経緯でそれが決定したかは不明であり、他の役員の場合も右と事情は同様である。ただ、控訴人の従業員のテルニックの役員就任及びテルニックヘの出向等は、すべて控訴人の就業規則に基づき被控訴人が承認している。

以上の各事実が認められ、<証拠>のうち右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、控訴人は、控訴人がテルニックに対する貸付金として、第四〇期に一億三四〇〇万円を、第四一期に一億一六〇〇万円を各計上している旨主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。ただ、小越芳保に対する調査嘱託の結果によれば、控訴人の第四〇期(昭和五六年一一月一日から昭和五七年一〇月三一日まで)の決算報告書の附属明細書中の長期貸付金欄に、日本油脂に対する設備資金代理貸付として一億三四四一万七〇〇〇円の貸付金が記載され、第四一期(昭和五七年一一月一日から昭和五八年一〇月三一日まで)の決算報告書の附属明細書中の長期貸付欄に、右貸付金が一億一六八三万八〇〇〇円に減少した旨記載されているところ、当審における尋問において、控訴人代表者(第一回)は、右貸付はテルニックの柏原工場の建設時になされたから、被控訴人が日本油脂を通じてテルニックに貸し付けたものであると供述し、被控訴人は、被控訴人の三菱銀行神戸支店との間の個人的な付き合いの関係から、第四〇期の夏に控訴人名義で同銀行から約一億五〇〇〇万円を借り受け、これを日本油脂に貸し付け、被控訴人において個人の利殖に運用したもので、第四二期に控訴人に返済した旨供述する。前記認定のとおり、テルニックが昭和五七年に約三億円を投資して柏原工場を建設したこと、テルニックが歴史の浅い会社でそれまでに格別資産もなかったことを考慮すると、右工場の建設費のうち相当部分が控訴人からの融資金ではないかとの疑いも一概に否定し得ないが、右事情だけから直ちに控訴人の右主張を認定することはできない。

3  被控訴人の責任

(一) 取締役の義務

取締役は、善良な管理者の注意をもって委任事務を処理する義務を負い(商法二五四条三項、民法六四四条)、かつ、会社のために忠実にその職務を遂行する義務を負う(商法二五四条ノ三)。したがって、取締役が自己又は第三者の利益のために会社の利益を侵害することは許されず、取締役によるかかる行為を規制するために、商法は取締役の競業避止義務(同法二六四条)及び取締役と会社との間の利益相反取引(同法二六五条)について定めている。右規定の趣旨に照らすと、同法二六四条一項及び二六五条一項の「自己又ハ第三者ノ為ニ」するとは、自己又は第三者のいずれの名をもってするとを問わず、行為の経済上の利益が自己又は第三者に帰属することをいい、取締役が第三者を実質上支配する場合も含めて規制が及ぶものと解するのが相当である。

(二) 競業避止義務違反

前記1及び2で認定した事実によれば、被控訴人は、昭和五四年三月一日、控訴人の代表取締役に就任して以来現在まで、ワンマン社長として控訴人を経営してきたものであるが、昭和五五年一一月一五日、自己に忠実な控訴人の管理職である畔上を神戸興産の代表取締役に、谷口、山内らを取締役にそれぞれ就任させ、その後テルニックに対し、控訴人の機械設備の譲渡、従業員の出向、控訴人の従業員によるテルニックのための営業活動、テルニックの商標の有償使用等人的物的援助を与え続け、テルニックを控訴人と競合する有力な会社に成長させたものであり、たとい被控訴人がテルニックの発行済株式の過半数を保有していないとしても、テルニックにおいては、被控訴人に対抗し得る株式を保有する株主は他に存在せず、株主の大部分は少数の株式を保有する控訴人の従業員ばかりであり、株主総会も開かれておらず、被控訴人に逆らう者もいない状況の下においては、被控訴人が神戸興産又はテルニックの事実上の主宰者として、その経営を支配してきたものと認めるのが相当である。

そうすると、被控訴人は、少くとも昭和五六年以降、テルニックのために、控訴人の営業の部類に属する取引をしてきたものであるというべきであり、右行為が控訴人に対する商法二六四条に定める競業避止義務に違反することは明らかである。

(三) 利益相反取引違反

前記1及び2で認定した事実によれば、控訴人の代表取締役である被控訴人は、少くとも昭和五六年以降、テルニックの事実上の主宰者としてこれを経営し、控訴人との間で取引を行ってきたものであると認められるから、被控訴人が商法二六五条に定める利益相反取引に違反したものであることは明らかである。

(四) 法令又は定款違反

(1) <証拠>によれば、控訴人の定款には「取締役会は社長がこれを招集する」と定めている(二三条)ところ、被控訴人が昭和五四年一一月以降現在まで取締役会を一度も招集していないことは前記1(二〇)で確定したとおりであるから、被控訴人が右定款の定めに反していることは明らかである。

(2) 前記1(一三)ないし(一八)で認定のとおり、被控訴人は、昭和五四年一月四日代表取締役を解任された後、被控訴人の跡を引き継ぎ代表取締役として控訴人の業務を執行すべき立場にあった来住に対し、控訴人の資金運用上必要な受取手形、代表取締役の印章等資金の調達に必要なものの引継ぎをせず、そのために控訴人の内部を混乱させ、控訴人を倒産寸前の状態におとしいれたもので、右行為が商法二五四条ノ三による取締役の忠実義務に違反することは明らかである。

(3) 前記2(六)ないし(一〇)で認定のとおり、被控訴人は、テルニックに対し、控訴人の機械設備の譲渡、従業員の出向等人的物的援助を与えてテルニックの生産設備の充実を図り、控訴人に不利益を及ぼしたものであり、右行為が前記取締役の忠実義務に違反することは明らかである。

三  控訴人の損害

1  競業避止義務違反及び利益相反取引違反による損害

(一) 控訴人は、被控訴人の競業避止義務違反又は利益相反取引違反によって、昭和五四年一一月一日から平成元年一〇月三一日までの一〇年間に、テルニックは年間四〇〇万円、合計四〇〇〇万円の営業利益を取得し、逆に控訴人は、右と同額の損害を被った旨主張する。前記二2(七)で認定のとおり、テルニックが控訴人との継続的取引により急速に成長した事実に照らすと、控訴人との取引によってテルニックが相当の利益を上げ、逆に控訴人がそれに見合う損害を被ったであろうことがうかがわれないではないが、右損害額を確定するに足りる証拠はない。

(二) 前記二2(八)で認定のとおり、控訴人は、昭和五六年一〇月一日以降現在まで、従業員をテルニックへ出向させているが、同日から昭和六一年九月三〇日までの五年間に控訴人が右出向者に支払った給与の総額から、右出向の見返りとしてテルニックから支払を受けた出向者分担金等の総額を差し引くと、その差額金は三三六〇万四〇三七円となる。これはテルニックには有利であるが、控訴人には不利益な支出であり、被控訴人の右競業避止義務違反又は利益相反取引違反によって生じた損害というべきものである。

被控訴人は、当審における本人尋問において、控訴人が昭和五七年に機械設備を譲渡し、控訴人の従業員を出向させたのは、テルニックが工場を建設して自ら製造を開始すると聞き、そうなれば控訴人の下請用の機械設備は不要となり、右下請業務に従事してきた従業員も失業状態となるので、テルニックに右機械設備を買い取ってもらい、従業員も引き受けてもらった旨供述するが、前記認定のとおり、被控訴人はワンマン社長であるとともにテルニックの事実上の主宰者であったから、テルニックを援助する意図がなければ、控訴人にとって一方的に不利益となる右工場の建設計画等を安易に受け入れるものとは考えられず、被控訴人の右供述は到底信用できない。

(三) 前記二2(九)で認定のとおり、控訴人は、昭和五七年四月からテルニックの商標を有償で借り受け、年間三〇〇万円を下らない使用料を支払っているが、右商標は当時テルニックで制定したばかりのなんら実績のないものであり、テルニックの製品との誤認混同も考えられるものであるから、控訴人が使用料を支払ってまでこれを使用しなければならない必要性は見当らない。結局これはテルニックに援助を与え、控訴人に一方的に損害を及ぼすものといわざるを得ない。控訴人が昭和五七年四月から平成二年三月までの八年間に支払った右商標の使用料合計二四〇〇万円は、被控訴人の右競業避止義務違反又は利益相反取引違反による損害というべきである。

2  利益相反取引違反による損害

控訴人は、被控訴人が昭和五四年一一月一日から平成元年一〇月三一日までの一〇年間、テルニックに対し控訴人の営業用事務所を提供し、備品や設備を使用させ、さらに機械設備を安価で譲渡したことなどから、年間三六〇万円、合計三六〇〇万円の損害を被った旨主張するが、右損害額を確定するに足りる証拠はない。

3  法令又は定款違反による損害

(一) 坂井が控訴人の代表者として本訴の追行を控訴人訴訟代理人に委任し、着手金として五〇万円を支払い、報酬として二五〇万円を支払う旨約したことは弁論の全趣旨により認められるところ、本件事案の難易、審理の経過、本訴の認容額等諸般の事情に照らすと、右弁護士費用三〇〇万円は、被控訴人が控訴人の代表取締役としてした前記商法上の各義務違反と因果関係のある損害として、被控訴人に賠償させるのが相当である。

(二) 控訴人は、さらに、坂井が控訴人に代って控訴人訴訟代理人に支払った手数料報酬四〇万円、上木繁幸弁護士に支払った手数料謝金一五〇万円の内の八〇万円及び右上木弁護士及び土井義明弁護士に支払った弁護士手数料合計八〇万円も被控訴人の法令又は定款違反による損害であると主張するが、右各金員支払の事実を認めるに足りる証拠はない。

(三) 控訴人は、被控訴人が昭和五四年一月四日取締役会で代表取締役を解任されてから同年三月一日再び代表取締役に就任するまでの間、控訴人の代表取締役である来住の業務の執行を妨害し、そのため控訴人の信用を落とし、控訴人に二〇〇万円を下らない損害を被らせた旨主張するが、右損害額を認めるに足りる証拠はない。

4  まとめ

以上認定のとおり、被控訴人の商法上の義務違反により控訴人が被った損害は、右1(二)の三三六〇万四〇三七円、同(三)の二四〇〇万円及び右3(一)の三〇〇万円の合計六〇六〇万四〇三七円である。

四  結論

よって、被控訴人に対し、控訴人が本訴において請求する金三三九〇万円及び内金五〇〇万円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五四年七月二四日から、内金二八九〇万円に対する昭和六三年二月二四日付け訴えの変更申立書の送達の日の後であることが記録上明らかな昭和六三年三月二日から、それぞれ支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める控訴人の本訴請求は、正当としてこれを認容すべきところ、これと異なる原判決は失当であり、本件控訴は理由があるから原判決を取り消し、民訴法三八六条、八九条、九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 日野原昌 裁判官 大須賀欣一 裁判官 加藤 誠)

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